与謝蕪村300年の風景
あらすじ/作品情報
与謝蕪村は、江戸時代中期の日本の俳人、画家である。2015年は、与謝蕪村生誕300年。「伊藤若冲と与謝蕪村 生誕三百年 同い年の天才絵師」が、美術館で開かれていた。現代においても古びることのない蕪村の魅力は、時を越えて十分に通用するものがある。一人でも多くの方に蕪村の俳句を知っていただきたい。■ あらすじ2015年は、与謝蕪村生誕300年にあたる。淀川のほとり都島区毛馬町に、蕪村公園があるが、石碑と石造りの30石舟が置かれているだけの寂しい公園だ。蕪村は、俳聖芭蕉と比較されることが多い。さみだれを集めて早し最上川(芭蕉)さみだれや大河を前に家二軒(蕪村)確かに、芭蕉は、写実的な俳諧の基礎をきづいた天才といえる。その芭蕉を尊崇して、奥の細道への旅をしたり、師巴人(はじん)を通して芭蕉の俳諧精神を勉強して、その精神を自分のものとした蕪村の作品は、まるで絵画のように、細かな情景までが眼前に浮かぶのである。一般の評価は、蕪村を芭蕉よりも低くみているようだが、それは蕪村の出生の秘密にあるのではないか。また、蕪村は、奥の細道への旅を中心とした多くの絵画を残しており、それらは、国宝や重要文化財に指定されている。蕪村は、自然風景や花鳥風月を詠んだだけでなく、艶っぽい句も詠んでいる。もも尻の光りけふとき蛍哉これは、祇園の芸者小糸との別れのうたといわれる。また、蕪村は、望郷の詩人であった。その魂のうめき声である望郷の念が結実したのは、「春風馬堤曲」であり、教科書にもとりあげられている。春風や堤長うして家遠し春情まなび得たり浪花風流(なにわぶり)■目次・まえがき・毛馬のひと・旅のひと・京のひと・これぞ蕪村の句・艶のひと・馬堤のひと・蕪村の魂・おわりに■著者 みのごさく岐阜県出身、大蔵省(財務省)勤務ののち、大阪証券金融(日本証券金融)社長、日本万博記念協会理事長、日本電産役員、を経て、現在大阪信用金庫役員、神戸ゴマルゴ顧問、自然総研顧問、大阪電気通信大学客員教授などをつとめる。主な著作、「炎のバンカー」、「なにわの風雲児」、「アフリカ物語」、「帷(とばり)」、「日本のシンドラー 杉原千畝の半生~ナチスからユダヤ人を6000人救った男~」などがある。